第2話 : あたしの知らないところで世界は進む







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 あたしの知らないところで世界は進む。いつしか致命的なほどに。ぎりぎりぎり。




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あぁ、朝だ。ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。なんとはなしに聞いてると、スズメの鳴き声もなかなか愛嬌あるじゃない。

 ここは丘の上だから動物がたくさんいる。たぬき。野良の犬に猫。いたち。たまにどこから抜け出したのやらイグアナなんかも見かける。さすがにあいつは捕まえて警察に渡したけど。

 この動物たちに紛れて獣も見かける。慶次なんかは特別な方だが、それでも奇怪な、あるいは優美な。たまにおぞましい獣が闊歩している。いちいち気にしていてもキリがないので無視しているけど。

 どうして、みんなは気付いてないんだろう?

 獣の中に人間が紛れたのか、獣が人間に迷い込んだのか。いずれにせよ、あたしの立場なんてもっと不明瞭。やれやれ。まったく中途半端。

 さて、じゃあ今日も学校に行きますか。ふぅ。

 今日も朝食は抜き。真理子に怒られるかな。だって、自分のためだけに朝の憂鬱な時間に、わざわざ料理する気にはなれないもん。あたしは料理にこだわるほうだし。

 寮の料理は悪くなかったな。あんまりいい思い出はないけど、あの料理と広いお風呂だけはなかなか。

 ぼんやりと歩いてたら、獣が道の途中にいるのに気付く。珍しい。普段は夜に見かけるのに。やっぱり壁の影響かしら。幸い、辺りに人の気配はない。なにせ丘の上。わざわざ上ってくる人もあまりいない。

「グルルル。貴様。我。見える」

 あらら。ちょっと見すぎたかな。いつもなら見ないようにしているのに。こうやって絡まれるのが嫌だから。

「貴様。何故。我。見える」あぁ、鬱陶しい。無視無視。そのうち向こうも諦めるだろう。

 あたしは無言で獣の横を通り過ぎる。大丈夫。こんな小物にあたしの力が見破れるはずない。朝っぱらから余計な神経使わせないでほしい。

 案の定、獣はあたしの態度に拍子抜けしたみたい。なんだかさかんに鼻をフンフンしてるけど、匂いはしないはず。

 獣は諦めたのか、それ以上あたしにかまわなかった。そして道の脇の茂みの中へと消えていった。ふぅ。

 学校近辺の商店街。学生街といった感じで、お弁当屋さん、スポーツショップ、ゲームショップ、古本屋さん、居酒屋など活気がある。カラオケ、ボーリング、ビリヤード。なにせ学生だけで数万人。さらに職員やら売店の人たちを含めると一つの都市なみの人口を抱える学校だ。ここは本当に活気がある。

 でも、今日は違った。

 なんだろう?表面上は確かにいつもと同じ。あたしはいつもお世話になってる総菜屋さんで昼食を買いながら商店街を見渡す。やっぱり違う。

 どことなくみんなの顔が暗く感じる。う〜ん。例えるなら昨日、遅くまで起きていてあんまり寝てないって感じかな。一人二人くらいなら徹夜してる人がいてもおかしくないけど、商店街中、さらには学生たちまでそうだと、さすがにおかしい。

 ためしに総菜屋のおばさんに聞いてみる。もう三年近い付き合いだ。気心も知れている。

「おばさん、今日はなんだか元気ないね。なにかあったの?」

「え?そうかい?ちゃんと昨日も熟睡してるから安心して」おばさんの言葉に嘘はなさそう。でも、顔色が悪いのも事実だし。

「なんだか元気ないような気がして。あたしの昼ごはんはおばさんだけが頼りなんだからいつまでも元気でいてね」

 おばさんにそう声をかけてあたしは学校に向かう。道行く人々をそれとなく観察しても、やはりどこか元気がない。やれやれ。朝が憂鬱なのはあたしだけじゃないのだろうか。


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 教室。真理子はまだ来てないみたい。昨日、なんだか変な終わり方になっちゃったから、少し気になる。あとでメールしてみよう。あんまりやったことないから、できるかどうかちょっと不安だけど。

 真理子のいない朝はいたって静か。だれもあたしに注意をむけない。ううん。たまに視線を感じるけど、あえて無視。あたしは好きで一人でいるの。

 でも、真理子の屈託のない表情がない学校は、時間が経ちすぎてふやけたシフォンケーキのよう。歯ごたえもモチモチしすぎて気持ちわるい。それに、やっぱりクラスもいまいち活気に欠ける。いつもなら煩わしいほどうるさいのに。

 昨日、霊界探偵部の人たちと話せなかったのは失敗だったな。壁。壁が確実になんらかの影響をこの街に与えている。慶次も言っていた。なんとかしないと、この辺りのエネルギーが全て吸い取られてしまう。

 まだ、みんなには寝不足くらいの影響しかでてないけど、こんな状態がずっと続けば…。 ダメダメ。また思考の連鎖におちいっちゃう。今日の放課後こそ、霊界探偵部に会いに行こう。あれ?でも、あの人たちって普段はどこにいるんだろう?

 そういえば中・高等部に六年間いても霊界探偵部の実態はよくわからない。活動内容はよく新聞部やラジオ放送部、テレビ放送部、IT部などが記事にしてるけど、だいたい三面記事扱いだし。まともに取り扱ってるとこなんて見たことないな。

 う〜ん。考えてみても顧問すらわからない。いったいどれだけの組織力があるのかしら。

 あ、オカルト研究会。あれならよく知っている。昔、どれほどものかと思って覗いてみたけど、まったくの素人集団だった。でも。霊界探偵部のライバルを自称しているみたいだし、なにか知っているのかも。

 オカルト研究会の現メンバーは三年生ばかり。確か、このクラスにも―――――

 いたいた。名前はなんだっけ。しばし考え、思い出す。そうだ。宮内。宮内(みやうち)鈴実(すずみ)さん。

 昼休みを見計らって話しかけてみる。まだ、真理子は来てない。さっき送ったメールの返信もなし。ちょっと不安…。

 あたしは気を取り直して、宮内の傍に行く。

「あの、宮内さん?ちょっといいかな」

 宮内はだいぶ驚いた様子。それはそうだ。あたしから話しかけるなんて初めてだし、そもそも普段は真理子以外とは滅多に人と話さないし。

「あれ?どうしたの?菅原さんから話しかけてくるなんて!めっちゃ嬉しい!なんでも聞いてよ」思ったよりも宮内は明るく返してくれる。まずは第一段階突破。

「あの、あなたのクラブについて教えてほしいことがあるんだけど」

「え?オカルトについて菅原さん興味あったんだ!へぇー。意外だなぁ。うん!なんでも聞いてよ」よしよし、いい感じ。

「あの、霊界探偵部について…なんだけど…?」

 話すにつれて宮内の顔が引きつってくる。あれ?失敗した?

「え…えっとね、私はもちろん菅原さんが好きだし、できれば力になってあげたいとは思う。でも、お願いだから私の前であいつらの話題を出さないで!」

「み、宮内さん?」そんなに怒らなくても。

「あぁ、もう!そういう話題は直接A組に行ってあいつらに聞いてきたらいいのよ」

 どうやら完全に怒らせてしまったらしい。もう話は終わりとばかりに手元の雑誌に視線を落とす、宮内。ちなみに雑誌は「ムー」。ちょっと面白い。特集記事は『東京に出没!?なぞのカオス教団』か。いろいろな人がいるんだな。

 ちょっと後ろ髪をひかれつつ、席に戻る。

 しょうがない。やっぱり、直接A組に聞きに行こう。ふぅ。一人で食べるお弁当ってこんなに味気ないんだ。いつもならすっごく美味しいおばちゃんの味も、なんだか物足りなく感じちゃう。真理子、どうしたんだろう。

 放課後。A組に到着。同じ学校で三年間をともに過ごしてきたのに、どうして他のクラスはこうも異質に感じるのだろう。文系と理系の違いもあるのかな。周囲の視線が気になる。あぁ。あたしは見世物じゃない!

 犬神。いた。あれ?どうしてあんなに包帯を巻かれているんだろう?昨日見た時は普通だったのに。ちょっと痛々しい。力で治してあげようか―――――ううん。何を考えてるんだ、あたしは。せっかく今まで隠れてきたんだから、こんなことでばれたくない。

 彩音もいた。というか、犬神となにか話している。あ、席を立った。ダメ。またおいていかれちゃう。

 二人のあとを追うあたし。何気ない足取りに見えるのに、あの二人からは気配を感じない。多分、あたしみたいにはっきりと意識して追いかけていないと分からない。周囲の人たちは二人の存在にすら気付かないだろう。

 うん?ここは理事長室。普段、生徒はめったにここに来ない。来る必要がないからだ。ここの学校は少し変わっている。ううん。だいぶ、かな。

 幼稚部から研究部まで抱えるこの学校は、その全てを統括し常に外部から招聘される総合校長と、初代創設者の一族につらなる血筋の者が就任する理事長との間に深い確執があると聞く。現在、その実権の大半を校長側が占めているので、理事長は飾りだという噂もあるくらいだ。まぁ、あたしには関係ない。

人間の権力争いなんて―――――

 違った。二人は理事長室を素通りした。あれ?じゃあどこへ。

 疑問はすぐに解決した。二人は理事長室のすぐ横にある目立たない扉を開けて、中に入っていったのだ。あんなところにいったいなにが?

 扉は目立たない、ともすると壁の一部に溶け込んでしまいそうな作りだ。でも、逆に一回疑問に思うと、不自然さが匂ってくる。いったい、なにを隠そうとしているんだろう。

 あ、真理子からの返信まだないなぁ。

 壁は思ったよりも堅牢でとても中の様子を伺うことはできそうにない。困ったな。力は使えない。使いたくない。やれやれ。とりあえずここが霊界探偵部の部室と考えていいのかな。隣が理事長室ってことは、なにか関係あるのかも。

二人が出てくる様子はない。このまま、ここで待っていようか。

 あたしは諦めて廊下に座り込む。

 ブルルルルル!

びっくり。あぁ、今日はマナーモードにしてたんだ。あたしはブルブル震える携帯をスカートから引っ張り出した。ん!真理子からだ。

「今すぐ難波まで来て!」メールにはそう書いてある。やれやれ。相変わらず。

 それでもあたしは連絡が来たのが嬉しくて、難波まで行くことにする。霊界探偵部は…、まぁまた機会があるだろう。その時、あたしはまだ単純にそう考えていた。


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 難波に到着。学校のある街からは比較的近いのでよく真理子と遊びにくる。雑多な街なので煩(うるさ)くもあるがその分、あたしも目立たない。たぶん。この街にも獣は多い。派手な電飾で煌(きら)めく橋の上、間抜けな人形が動く道の前。やっぱりだれも気付いていない。

 あたしはいつも真理子と待ち合わせしてるカフェに行く。こんな煩い街なのに、奇跡的に静かな店内。落ち着いたシックな感じが気に入って中学の頃からの常連だ。

「あ、エル!こっちこっち!」店のマスターに軽く挨拶するあたしに真理子の元気な声が聞こえる。あぁ、よかった。いつもどうりだ。

 いつものホットミルクティを味わいながら真理子を見つめる。

「どうして学校に来なかったの?」

 真理子はちょっとばつの悪そうな顔。

「えっとね、今日はちょっと気分が乗らなくて…。しかも、今日はあたしの大好きな画家の個展が心斎橋であってさ。どうしても我慢できなかったの」

 やれやれ。美術館では携帯の電源を切るのがマナーであると心得ている真理子は、ずっと電源を切っていたみたい。変なとこで律儀なんだから。

 しばらくは真理子の美術談義が続く。そんなに好きなら美術部に入ったらいいと思うのに、どうやら自分で描くのは苦手らしい。たしかに、美術の時間にお互いの顔を模写したときは、髪が綺麗な金に染まっていなかったらあたしだって分からなかっただろう。あの絵を真理子はまだ持っているのかな?

「やっぱり、ベル・エポックの風潮に代表されるアールヌーボはミシャをもって嚆矢とするんだよね」

どうやら真理子の中で結論がでたみたい。あたしもあの人の書く絵はちょっと好きだな。

「そうそう!それで、ここからが本題なんだけど!」

あたしはマスターに頼んでホットミルクティの御代わりをもらった。

「この前、二年の若菜さんの話したじゃない。あの娘(こ)を私も見たのよ!美術館にいたの。あの娘(こ)も絵に興味あるのね。あ、そっか。あの娘美術部だったもんねぇ」

 あたし達はよく知っている。去年の学園祭の時、出展されている絵を見たからだ。不思議な絵だった。どこか寂しくて、悲しい絵であった。自分の身のおき場所が分からないような。あたしもすごく。すごく共感できる絵であった。

他にも、いろいろな彼女の作品を見てきた。本人は遠目でしか見たことないけど。

「そう。それで彼女はどうしたの?」あの娘もなにか知っているのだろうか。壁について。

「それが、ほら四月にちょっとだけいたカッコいい講師と女の子いたじゃない。シルヴィア先生と泉ちゃん。あと葛葉君。あの人たちとなぜか一緒にいて、四人でどっかに行っちゃったよ」

「そうなんだ。ちょっと話したかったな」あたしの言葉に真理子が驚く。

「エルが誰かに興味をもつなんて!いったいどうしたの?」

「うん。少し気になることがあって…」残念だけど仕方ないなと微笑むあたし。

「それならそうと早く言ってくれればいいのに!そういうことは私に任せて!」なぜか偉そうに胸をはる真理子。いったいどうしたんだろう?

「実は私の友達に生徒会の執行部の娘がいるの。E組のなっちゃん。あの娘が前に難波にある料亭で、バイトしてる泉ちゃんに会ったことがあるって言ってたんだ。だから、なっちゃんに聞いてみれば…って、そういえばあなたもなっちゃんも同じ水泳部じゃない。知らない?」

う〜ん。微妙。水泳部に行ってたのは中学一年までだし。でも、こういうときの真理子はホントにすごい。人脈って力になるんだなって、たまに感心する。

「ちょっと待っててね。今聞いてみるから」

 行動もはやい。真理子はあたしにないものをいろいろと持っている。

 待つことしばし。短いやり取りを終えて真理子が電話をきる。

「わかったわよ!難波のおくまったとこにある『千歳』っていう料亭だって」

「あたし、そこに行ってみたい」あたしが真理子にお願いするなんて珍しい。

「もちろん。今日一日心配かけたみたいだから、じっくり付き合うわよ。昨日の借りもあるしね」真理子はとびっきりのウインクで答えてくれた。


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 『千歳』は思ったよりも立派な建物だった。料亭というだけあって。お店というよりも屋敷に近いつくり。二階建ての母屋は歴史を感じさせるし、お庭も広い。池にはきっと錦鯉がいるんだろう。難波にもこんな場所があったんだ。

 門構えからして立派なので最初、入るのには勇気がいった。でも、いざ入ってみると意外と店内はのんびりとしている。大きくて静か。けっこう好きかも。

「いらっしゃいませ」入り口で出迎えてくれたのは男の人だった。名札が見える。真田か。ちょっと匂う、かな?最近ちょっと過敏になってるかも。

 真田に通されたのはこじんまりとした個室。障子を開けるとさっきの広い庭が見えた。なかなかセンスもいい。なにより嬉しいのは小娘二人なのにちゃんと部屋に通してもらえたこと。最悪、門前払いも考えたんだけど。

 でも、真理子は特に気後れしているように見えない。後で聞いてみたら、ここは平塚学園の一部の生徒がよく訪れているらしい。なんでも、安くて美味しいうえにいろいろと相談にも乗ってくれるとか。あの真田という青年も学校ではなかなか人気者らしい。ふ〜ん。

 しばらくして料理が運ばれてきた。うん。たしかに美味しい。ここの料理長は確かな腕のようだ。他に目的がないのなら、いろいろとレシピについて考察したいところ。あたしは料理にはうるさいんだ。

 今は料理を運んできてくれた少女に興味がある。むこうはあたしに気付かなかったようだが、たしかにあれは湯元泉であった。若菜と行動をともにしているのなら、なにか関わりがあるにちがいない。それに、あの娘(こ)はひどく、匂う。もちろん、体臭がではない。多分、あたしと同類なのであろう。

 さて、お腹も膨れたし行動にでようかな。真理子にはもうちょっとここで待っていてもらう。ごめんね。

 さて、どこを探そうか。厨房はさすがに気がひける。てきとうに歩いてたら出会うかな。

 広いな。ひょっとすると外観より広いかも。ううん。そんなバカな。でも、可能性は捨てきれない。

 あてもなく歩くあたしの前に、唐突に扉が出現する。あれ?こんなとこに扉なんてあったっけ?

がちゃ。

けれど、あたしが深く考える前に扉が開いた。

「あ…」扉から出てきたのは長い髪が美しい二十代後半くらいの女だ。

 さすがのあたしも、ちょっとだけ、ドキっとする。こんな美しい人が世の中にはいるんだ。ふ〜ん。

「あら、あなた―――――」女が何か言いかける。

「あ、あの。あたしトイレに行きたくて…」いちよう考えていた言い訳。でも、こんなの信じる人いるのかな?だって、あきらかに客間から離れすぎ。

「ふふふ。そうなの。トイレはそっちの廊下を行って左に曲がった突き当たりよ」

 でも、女は信じているのか、いないのか。判断のつきかねる艶然とした表情で向こうの方を指さした。

「ありがとうございます…」そそくさと指差された方へとむかう。なんだろう。なぜか胸がざわめく。ちょっと慶次に会ってる時と似ているな。

 廊下を曲がるときにチラっと見てみたら、もう女の姿は消えていた。いったい、なんだったんだろう。

 とりあえず、あたしは言われたとおりのトイレを目指した。もう戻らないと真理子に悪いな。

 あれ。トイレなんてない。おかしいな。ここ、どこだろう?

 まさか。いくら広いとはいえ、建物の中で迷子になるなんて。

 あたしは少し不安になる。まだ、さっきの女のせいでちょっと情緒が安定しない。あたしはとんでもないとこに足を踏み入れてしまったのかも。力を使おうかな。ううん。まだ。まだダメ。きっと考えすぎなだけ。

 無限に続く廊下。進んでいるのに景色はいっこうに変わらない。おかしい。いくらなんでもここまで長くはないはずなのに。まるでアリスになったみたい。

うさぎさん、どこなの?

 あたしは埒もない想像をする。少しだけ落ち着いた。あたしは何もできない女じゃない。泣き出すにはまだ早い。さぁ、真理子のもとに帰ろう。

「あの、こんなところで何をなさっているのですか?」

 この屋敷はなんなんだろう。あたしを驚かせて喜んでいるのだろうか。

 目の前には若菜がいた。当初の目的ではあるが、こうも唐突だと少し戸惑う。いったい、どこからやってきたの?

「あ…あなた三年生の菅原先輩…ですか?」

 また、驚いた。こんな娘(こ)まであたしを知っているんだ。いったい、どんな噂をされているのやら。

「あっ、失礼しました。あの。私、元平塚(たいらづか)の生徒の若菜っていいます」

 小さくはあるけど、はっきりとした声。おかしいな。昔の印象ではもっとはかなげで消え入りそうだったのに。あたしはこの娘(こ)の描く絵が好きで、よく真理子と美術部の製作展を見に行ったものだ。その時の絵のイメージと、今目の前にいる少女とが結びつかない。やっぱり、四月に何かあったのだろう。

見違えるように力強くなっている。

「ああ。知っている。あたし、あなたの描く絵が好きだったから」

 若菜はその言葉を聞くと、わずかではあるが顔を朱にそめた。

「ありがとうございます。私、そんなこと言ってもらえたの初めてで…」

 会話を続けながら若菜を観察する。少し。ほんの少しだけ香るような気もするが、湯元の方がもっとはっきりと匂う。本命はあちらか。でも、この娘も気になる存在ではある。どうしてここにいるのだろう。

「ごめんなさいね。あたし、自分がどこから来たか分からなくなっちゃって」

 若菜に客間の名前を告げると、彼女は少しだけ微笑んで(といっても、よく観察しないと分からないレベルだが)あたしを元の客間へと案内してくれた。

「ありがとう。助かった」初対面の者と話すといつも緊張するのに、不思議と若菜相手だと平気だ。むしろ、心が落ち着く。これは彼女の人徳というものか。それとも―――――。

「ちょっと!エルったら遅すぎ!もう先に帰っちゃったのかと思ったじゃない」

 真理子が声を聞いたのだろう。客間から出てきた。

「あれ?若菜ちゃんじゃない」真理子が若菜に気が付くと、慌てたように若菜はあたしに挨拶を残し、奥へと行ってしまう。

「ありゃりゃ。嫌われてるのかな、私」ちょっと気落ちしたような真理子。あたしはそんなことないと真理子を慰めて『千歳』をあとにした。


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 真理子とは難波の駅で別れた。彼女の顔色も少し悪い。早く壁をどうにかしないと。

 あたしは妙な胸騒ぎを感じて難波を歩く。俗にミナミと呼ばれる辺りだ。この時間に女の子一人で歩いているので少し目立つ。あるいは髪のせい?

 近寄ってこようとする男たちを視線だけで威圧し、あたしは勘で道を選んだ。

「お嬢。そっちではない」むむ。この声は。

「今宵は特に匂う。…ふむ。この匂いの主はこの国古来のものではないな。どうやら異国の匂いじゃ。しかも複雑に絡みあっとる」

 気付くと慶次があたしの横に降り立っていた。こいつはいつも突然。

 姿が見えないってホントに便利だと思う。こんな街中に異形の獣がいると知れば、この気楽な連中はどう思うんだろう。

「なにか用?それに匂いって」あたしは周りに聞かれぬよう声を落として慶次に問いかけた。これ以上、目立ちたくない。

「匂わぬか。この匂い。怨念じゃな。さてはこやつも、封のエネルギーを壁に吸い取られおったか。こっちじゃよ」

 行くあてもないので慶次の指示に従う。そしてあたしも気がついた。確かにひどく匂う。しかし、さきほどの湯元や若菜のような芳醇な香りではない。慶次の指摘どおり、これは怨念の臭みだ。なにかよくないことが起こっている。

 あ、犬神だ。警察となにか話している。あらら。連れて行かれちゃった。

「なんじゃ。あの男と知り合いか?」慶次の不審そうな声。

「ううん。なんでもない」犬神もなにかを掴んだのかな。

 ひどく匂う建物の前まで行ってみる。やばい。この建物はまっとうなものじゃない。

 入り口には黒服が二人。どうしよう。力を使おうか―――――

 しばしあたしが逡巡(しゅんじゅん)していると、黒服たちは店内へと慌てたように入っていく。

「いかんな。匂いの主が実体化したようじゃ。お嬢よ。いかがする」

 慶次はあたしに判断を任せるよう。う〜ん。壁と関係あるのなら放ってはおけない。

「行こう」あたしは短く言うと、地下への階段を下りていった。慶次も身軽に後へと続く。巨体をまったく感じさせない軽(かろ)やかさだ。

 とうとう力を使わないといけないかも…。あたしは覚悟を決める。

 店内は一種、異様であった。扇情的な色に塗られ照明も薄暗い。それだけなら、ただのいかがわしい店なのかもしれないけど、この禍々しい匂いがただの飲食店ではないことを物語っている。

 それにしてもどうしてこんなにも裸の男女が多いんだろう。邪魔だ。慶次は人がすり抜けていくから関係ないが、あたしはなかなか前へと進めない。あたしに取りすがってくる者を蹴り飛ばし、なんとか地下四階へと辿り着く。

「社長室とVIPルーム」あたしは少し集中する。うん。匂いはこっちからだ。

 慶次は手が使えないので、あたしが取っ手をまわす。幸い、鍵は何者かによって壊されあとみたい。

「この下のようじゃな」確かに。一見、豪華なだけの部屋に見えるが、さらに地下へと続く階段が巧妙に隠してあった。よし、行こう。

 黒服がたくさん死んでいた。あまり感情は動かないが、気持ちいいものではない。

「おぉ。エネルギーがここには溢れておるのう」

 慶次が嬉しそうに黒服から漏れ出す、「命のきらめき」を吸い込んでいく。やれやれ。しょせんは獣か。

 獣は生き物の命を食う。正確には命の源となるものだが。あれを取り込むことによって地上界に実体化しているんだ。正式な名前は知らないので、「命のきらめき」と呼んでいる。

あたしは料理にうるさいから。絶対に食べない。誰が食べるか。

 黒服は道を指し示すかのように順路に沿って倒れていた。あたしはその道を辿る。む。人の気配。あたしは通路の影にもぐりこんだ。

 あ、あれは品川詩子(しいこ)。そうか。ここはあの娘の持ち物だったんだ。

 とりあえず、あたしは品川を無視する。今は匂いの元だ。

奥に向うと意外な人物がいた。

「彩音…さん!?」表で犬神を見ていたのである程度は予想していたけど、まさか彩音が襲われているとは―――――

「あやつ。なかなか強いな。いかがするか。このままではあの娘は死ぬじゃろう」

 慶次が冷静な声で分析してくる。そんなのあたしにだって分かる。

奇妙な獣であった。鬼の顔。熊の体。馬の手。あれは虎の足だろうか。

どうしよう!あたしが助けないと彩音は死ぬ。けど、力を使うと正体がばれちゃうかも。でも…。

その時、獣が動いてた。圧倒的な速度に、彩音はまったく対応できていない。

「危ない!!」

 気が付くとあたしは自然と力を解放していた。あたしの力は見えない矢となり獣に突き刺さる。カウンター気味にきまったのだろう。獣は実体化する力を失って消え去ってしまった。ふぅ。よかった。

 彩音は事態が飲み込めず呆然としているようす。しばらくすると、慌ててこっちへと走ってきた。多分、品川を追うんだろう。

 あたしはまた影にかくれてやりすごすと、静かに彩音に附いていく。やはりこの娘たちは何かを知っている。少し、探ってみよう。慶次も興味があるのか黙ってついてきた。

 逃げ惑う男女に紛れてあたしも外に出る。黒服はあらかた死んでしまったので誰何(すいか)されることはない。離れたところに二人はいた。いや、警察に解放されたんだろう、犬神もいる。まったく。彼女のピンチになにやってんだか。だからオタク部長なんて言われちゃうのに。

 しばらくすると品川のものらしき黒塗りの車がきた。あたしには追いかける術がない。

「慶次。お願いだからあの車を追ってくれない?」

 慶次は思案するように小首を傾げる。けれど、車が動きだすのにしたがって空へと舞い上がった。はやい。車と並行して慶次は夜の中へと消えていく。いいな。

 つばさをください

久しぶりに力を使ったのでちょっと疲れた。あたしは慶次の帰りを家で待つことにする。


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《《第1話に戻る____第3話に続く》》