第1話 : ねここねこ







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たとえ、生きることに意味がなかったとしても、あたしはあたしの道をいく


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学校からの帰り道。暑い毎日が続く。学校から歩いて通える距離とはいえ、ちょっとキツイ。

あれ?あれは何だろう?ダンボール…かな。こんな道端に。だれかが捨てていったのかな。ちょっとマナー違反。道を塞いでいるわけじゃないけど、だからって道端にダンボールを捨てていいわけない。

「にゃあ!」  

ん?にゃあ?にゃあって鳴いた。ダンボールって「にゃあ」って鳴くんだ。ううん。違う。ホントはわかってる。認めたくないだけ。ダンボール+「にゃあ」の方程式の解。小学生でも暗算できるんじゃないだろうか。あたしはいちよう高校生。しかも受験生。わからないわけがない。

「にゃううう」

 困った。

「みぃみぃ」

 困った…。

「ふにゃあぁ」

 やれやれ。結局こうなるのね。そう思いながらダンボールを拾い上げる、あたし。

中には予想通り、一匹の仔猫。真っ黒の体毛に小さな体。捨てられたのだろうか。仔猫は不安そうにみぃみぃと鳴くばかり。

「ふぅ。あなたも一人ぼっちなのね…」

 元気になるまでだ。このまま見捨てるのはさすがに忍びない。生憎、この道は人通りが少ない。捨てた方もせめて、もっと人通りの多いトコに置いてあげればよかったのに。まったく。命をなんだと思ってるんだろう。望まれなかった、命…かぁ。

 暗くなってくる気分に、あたしはいささかうんざり。考えても仕方ないことは考えるだけムダっていうのは真理子の口癖。あたしにもあの娘くらいの明るさがあればなぁ。

 テンションの高い自分を想像してみる。ううん。なにか違うような気がする――――

「みゃあ〜」

 あたしの腕に包まれて、安心したのか仔猫がゴロゴロと喉を鳴らす。そうだ。いつまでもこんなトコに突っ立っててもしょうがない。帰ろうっと。あ、おちびちゃんのご飯買わなくちゃ。猫缶でいいのかな?でも、弱ってるみたいだし…。


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 迷ったすえにコンビニで牛乳を買って帰ることにした。仔猫にはちょっと学生鞄の中に隠れてもらう。帰って鞄を開けたら仔猫が下敷きみたいにぺったんこになってたらどうしよう。まぁ、そんなことないか。

「いらっしゃいませ〜」コンビニ店員の声。あれは誰にたいして挨拶してるんだろう?あんな風に他のことしながら、目線も合わさずに言われてもちっとも嬉しくない。

自己満足に付き合わされるこっちの身にもなってほしい。

「みぃ」  

鞄の中から仔猫の鳴き声が聞こえてきた。そうだ。今は店員よりも牛乳だ。こういう時はホントに便利だな。もう、いっそ無人販売店にしちゃえばいいのに。そうすればあたしも人の目を気にすることなく自由に買い物できるし――――

 牛乳も色々な種類があるなぁ。わからないから適当に選ぶ。まさか味が全然違うということもないだろうし。

 買ったばかりの牛乳をビニール袋に入れてもらい、店をでる。ここからあたしの家のあるマンションまでは長い坂道が続く。春なら綺麗な桜並木だけど、もうその季節は過ぎ去ってしまってて。

「暑い…」

 もう、夕方なのに日差しがきつい。季節は夏本番。これからますます暑くなってくるんだろうな。マンションの上層階にあるあたしの部屋は夜の風通しは抜群だけど、昼は地獄。たぶん、フライパンの上に卵を落としたら目玉焼きが作れると思う。だから昼はいつも学校の傍の市営図書館まで避難してる。クーラーが効いてるし、本もいっぱいあるし。ちょっと小学生がうるさい時もあるけど、まぁ許容範囲かな。

「みぃみぃ〜」

 坂道を登るため、どうしても鞄の揺れが激しくなる。仔猫がそのことに抗議するように鳴いてきた。でも、暑さでくらくらするあたしは敢えて無視。連れて帰るだけでも感謝してほしいくらいだ。しかも牛乳と仔猫の重さまでプラスして。

 坂道の終わり間近。もうちょっとであたしの住むマンションが見えてくるという所で慶次郎に会った。あいつも夏の暑さにバテ気味のよう。ふぅん。暑さを感じるんだ。

「もちろんじゃ。ワシとて命ある身。暑いもんは暑い」

 千年を生きる古き獣も、そう言いながら木陰で休む様はまるで老犬のよう。舌をだして喘いでいる。

「そんな暑いなら人形(じんけい)をとってどこかクーラーのあるトコにいけばいいじゃない」

 慶次郎の人形(じんけい)は実際の年齢や話し方によらず、若い男のものである。まぁ元から年齢なんて関係ないんだろうし、昔の人だから話し方も古臭く感じるだけなんだろうけど。

「ワシは『くぅらぁ』とやらは苦手なんじゃ。毛並みが乱れる。鼻も乾燥するしのぅ」

 いよいよ犬みたい。ホントにこいつは大妖怪なんだろうか?

 あたしも暑いので、それ以上慶次郎に関わることを止めてマンションに入ることにした。そういえば、どうして慶次郎はあんなトコにいたんだろう?


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「みゃああん」

 早速、買ってきた牛乳を仔猫にあげる。少し暖めたそれは母猫を思い出させるのか、仔猫は一心不乱に皿をなめ続けた。

 マンションは幸い、小動物であるならペットとして飼うことが許されているので、鳴声が漏れたところで誰に文句を言われるわけじゃない。皿を美味しそうに舐め回す仔猫を見やり、ぼんやりとそんなことを考える。

「さて…」

 満腹になって満足そうに毛繕いをする仔猫をあたしは抱え上げた。

「みゃあ?」仔猫があたしの顔を見上げてくる。

郷に入りては郷に従え、よ。おちびちゃん。あたしの家に居候するなら、せめて体くらい洗ってもらわなきゃね。

 あたしの思惑に気付いてないのか、仔猫が無邪気に手を舐めてくる。それを一瞬見やってからあたしは決意してお風呂場へと仔猫を連れて行った――――

「なぁぁぁ!ぶにゃ!ふぎゃあ!!」

仔猫のしくしく鳴く声がお風呂場に響く。ふん。ついて来たあなたが悪い。たとえあたしが連れて帰ったんだとしても、うちに来た時点であなたの運命は決まっていたのよ。

ネコ用のシャンプーなんてもちろんないので、石鹸をお湯で薄めて洗ってやることにする。シャワーを出してからはまさに戦いだった。さっきまであれだけ弱弱しかったくせに、あたしの腕から飛び出すと果敢に逃げ回る。引掻かれ、水浸しになりながら、それでもなんとか首を押さえつけ仔猫をゴシゴシ洗う。観念したのか仔猫はしくしく鳴くばかりだ。ううん。これじゃあたしが悪いことしてるみたい。

「すっかりびちゃびちゃ…」

 水浸しになった服や下着を脱ぎ、あたしはそのままシャワーを浴びることにした。

一日の汚れが洗い流されていくようで心地いい。髪から体へと流れ落ちる水流があたしを癒してくれる。うっとりと体を壁に預け、深い息を吐く。水の跳ねるぴしゃぴしゃという音だけが存在を許された空間。そこにあたしは居るような、いないような。

 時々、自分でも分からなくなる。あたしは「いる」のだろうか?

 水があたしの体を流れ落ちていく感触があるということは、あたしが存在しているという証拠になるのかな。

 そんなことを無意識に考えていた。

仔猫はそんなあたしを不思議そうに見上げていた。あれ?そういえばおちびちゃんはオスなんだろうか?メスなんだろうか?もしオスなら許されない覗き魔だ。

 シャワーを戯れに仔猫に浴びせる。その度にビックリして逃げる仔猫。あたしは久々に心のそこから笑うことができた――――


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長い金の髪は乾かすのに時間がかかる。ドライヤーを丹念にあてながらしばし放心。仔猫はすでにドライヤーで乾かされてあたしの隣で就寝中だ。色々あったから疲れたのだろう。

ダンボールの中にいた時は埃っぽかったが、綺麗に洗われたその毛並みは今では漆黒の煌(きらめ)きをもっている。仔猫でありながら既にネコ科特有のしなやかさを持った生き物。慶次郎も水浴びするのかな?

 髪がようやく乾いてあたしは晩御飯の準備をする。一人暮らしだと全部自分でやらなくてはいけないからちょっと大変。でも、それ以上に束縛されないのが好き。

 今日は肉じゃが。それに冷奴。作りおきのサラダも冷蔵庫からだす。ううん。レタスがちょっとへたってるな。これにご飯を炊いてできあがり。

 ご飯が用意できる間に匂いにつられたのか、仔猫が目を覚ます。それでもう一度ホットミルクをだしてやった。あ、そういえばおちびちゃんのトイレとかってどうしよう。寝床も必要だし。

「あなた、トイレ行きたくなったらちゃんと言ってね。じゃないと追い出すわよ」  

他愛のない、あたしの一言。もちろん返事なんて期待してなかった。

でも――――



「うん、分かったよ。姉ちゃん」



どこからか聞こえてくる返事の声。えっと、え〜と――――。今、この部屋にはあたしと仔猫しかいないわけで。もちろん、あたしは何も言ってないんだから…。

「どうしたの?どうしたの?」

 そう言いながら仔猫があたしを心配そうに見上げてくる。ううん。頭が痛い。

 これは、あれだ。あのにゃあって鳴く獣だ。冷静にあたしの中の一部が告げる。

「あなた、猫又の子だったの」

「うん、そうだよ!かあちゃんとはぐれちゃってオイラ難儀してたんだ。拾ってくれてありがとう!」そう言ってあたしの膝に仔猫は体を摺り寄せてきた。

「やれやれ。偶然拾った仔猫がまさか猫又だったとは…」

うん?と小首を傾げる仔猫。

「あなた、拾ったのがあたしだったから良かったけど、こういうことに耐性の無い相手だったらどうする気だったの?」

「オイラちゃんと選んだよ。姉ちゃん、特別な匂いがしたもん。オイラを受け入れてくれるって。オイラまだ子どもだけど鼻だけは効くんだ」  

仔猫はえっへんと胸をはる。あたしの匂い…。それはどういう意味?あたしの正体を嗅ぎ分けたということ?

「ううん。違うよ。オイラを優しく扱ってくれるなっていう匂い」

「そんなことない。あたしは一人の方が好き。あなたを連れて帰ったのだって元気になるまでのつもりだったし」

 あたしの言葉に、しかし嬉しそうに首を振る仔猫。ネコなのに不思議と表情がよく分かる。あるいは猫又だからだろうか。

「姉ちゃん、嘘ついてる。オイラにはわかるもん。姉ちゃんはきっとかあちゃんを見つけてくれる」

 やれやれ。おちびちゃんは何も分かってない。あたしはそんなに優しくない。

「もっと心を開きなよ。姉ちゃん、なんかムリしてるもん。ホントはもっともっと世界と関わりたいんじゃないの?」

 瞬間、あたしはイラっとする。つい今しがた拾ったばかりの仔猫にあたしの何がわかるんだ。あたしは好きで一人でいるんだ。独り――――

 いつのまにか握り締めていた手の力をフッと抜いた。なんだかバカらしくなって仔猫を抱き上げ、頭を撫でる。相手は子ども。子どもだもん。

「姉ちゃん…。ごめん」

 仔猫がちょっと決まり悪げに言う。なんだ。おちびちゃんかと思ってたのに案外しっかりしてる。まぁ見た目が小さいだけで、実際は獣の類なんだから本当の年齢が何歳かなんてわかんないけど。

「でも、ホントに姉ちゃんからは優しい匂いがするんだ。きっとオイラを助けてくれる。力になってくれるんだって匂いが」

子ども特有のキラキラした目。あたしもあんな目をしていた時期があったのかな?

想像もできない。幼い頃の記憶は、ぼんやりしているか独りで過ごしているかくらいしかない。

どうして人は自分とちょっとでも違う存在を受け入れてくれないのかな。

 あたしとあの人たちは何が違ったんだろう――――  

暗くなる思考を仔猫が引き戻してくれる。手の中にある温もりがすごく暖かい。  

ふぅ。やれやれ。わかった。あたしの負け。

「あなたのお母さん、探してあげる」  

あたしの言葉に喜ぶ仔猫。にゃあにゃあ言っている。

「そういえば…あなた名前は……?」




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次回に続く