序章 : 帰ってきた男と造魔の少女





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轟音を撒き散らし、鋼鉄の鳥が大空へと駆け上がって行く。

Japan、寒々しい冬の東京の羽田空港。
ついさっき到着した飛行機から、多くの人々が楽しそうに、または機内の疲れを引きずったまま、歩き去っていく。
そんな人々の喧騒に埋もれるように、一組の男女が歩いて出てくる。
上下共によれよれの黒いスーツを着た男は、どこかフラフラと。
紅いドレス調の服を着た女は、キビキビと。
そんな正反対のタイプの二人は、そのままの足で荷物受け取り場へと来る。
ベルトコンベアに乗って流されていく数々の荷物を何となく眺めながら、男が呟くように隣の女に言う。
「……なぁ、ヴァータ。俺らの荷物って、どれだっけか?俺にはすべて、同じものに見えるんだが……」
それに対し女、ヴァータと呼ばれた少女は静かに答える。
「今、斉さんの前を通過した黒い鞄だったと記憶しています」
「え、これ?」
男…斉は、何も考えずに、とりあえず目の前を通過しようとした黒いボストンバッグを掴み取る。
次の瞬間、
「誰のモンに手ぇ出しとんじゃ、ワレぇ!?」
今まで隣に立っていた……よくよく見てみると、どう見てもカタギでない感じの白いスーツにサングラスをかけた男に胸倉を掴まれることとなった。
掴んだ相手の方がやや背が高く、かるく首を持ち上げられる体制になった斉だが、別段その顔色に変化はなく−そこには怯えも怒りもなく−ただ純粋に、めんどくさそうに、呟く。
「…違うじゃなか…」
「一つ左隣のものでした。コンベアによる移動に対して説明が遅れ…」
次の瞬間、斉の襟首を掴む腕に力が込められた。そして、
「どぉでもえぇから早よ離しやがれやぁぁっ!」
サングラスの男が、あまりに平然とした二人のやり取りに対し、思わず斉の顔面を殴るべく拳を突き出す。
だがそれを見た斉は特に動く素振りも見せず、ただ溜息を一つ。
次の瞬間、
「……………?!!!」
動きを止めたのは、サングラスをかけた男の方だった。
突き出した拳は、斉の顔面から5cm程度の所で止まっている。
だが、別にサングラスの男が自分で止めたわけではない。というか、しっかり殴るつもりだった。
それが止まった……いや、止められたのだ。何か、壁のようなものに……。殴った感触からも、そう思えた。
しかし、そんな壁は…ましてや、自分の拳とこの男の顔の間に、壁などない。
傍目には、自分が拳を途中で止めたようにしか見えないだろう。しかし……。
様々な憶測が飛び交い、混乱する男に、斉は後頭部を掻きながら言う。
「あー、何だ。間違えて悪かったよ。別にワザとじゃないんだ、ただ俺のやつと似てて…」
「斉さんの鞄は布製ですが」
ヴァータが口を挟む。
ちなみに、今斉が持っている鞄……サングラス男の鞄は革製である。
「………………」
「………………」
ジト目で睨むサングラス男と、汗をかきながら視線を逸らす斉。
だが斉は次の瞬間、
「と、とりあえず返すわ、これ。ほい」
実はまだ突き出したままだった男の腕に鞄の取っ手を引っ掛けると同時に、半身を翻し、軽く素早く下に体重をかけることで掴まれていた腕をはずす。
一瞬の出来事に固まるサングラス男。
「鞄が一周してきました」
ヴァータの報告。
「俺が取るとまた問題になりそうだし、取ってくれ。で、もう行こう。そろそろ言ってた時間に遅れそうだ」
「はい」
間違うことなく、斉の黒い布鞄と自分の紅い革鞄を取り上げるヴァータ。
その彼女から自分の鞄を受け取りつつ、斉はまだそこにいるサングラス男に言う。
「じゃ、俺たち行くわ。悪かったな」
「…………あ、ああ、気ぃつけやがれ…」
辛うじて出た力無い強気の言葉を聞き、斉は男の肩を軽くぽんっと叩いて出入り口のある方向へと歩き出した。その後を、少しの狂いもなく一定の距離でヴァータがついて行く。
その二人の後姿を見送りながら、サングラス男は呟いた。
「何もんだ、あいつら……」
やがて二人の姿が下りエスカレータによって見えなくなり、逆に向こう側から次の荷物を取りに来る客の群が近づいてくるのを見て、サングラス男は痛む右手をズボンのポケットに突っ込み、自らもまた、出入り口に向かって歩き出した。


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「久々だな、ここも……」
空港を出てから約2時間、斉とヴァータの二人は東京の街中を少し歩いた後、一つのビルの前にいた。
それは一見、普通のどこかの会社に見える建物。
しかしその実態は……知る人ぞ知る、「悪魔」を狩る狩人達の棲家<結社>である。
斉とヴァータも、1年前まではここに所属していた。そして多くの仲間達と、数々の依頼をこなしてきた。
しかし1年前、某国の大使の義娘…いや、実態は王女だった少女に関する依頼を達成した後、斉は依頼を通しているとはいえ、人の汚い所を見ることを拒み始め、やがて戦場から離れることにした。仕事仲間であった造魔の少女と共に。二人はそのままイタリアの名前もないような田舎町に移住した。
しかし、国や環境こそ変わったものの人の悪意と「悪魔」がはこびる世界には違いがなく、生計をたてるためにも、仲良くなった町人達を外敵から守るためにも、結局は表向きは小さな探偵事務所をかまえることで、戦う道を選んだ。

そして1年、決して儲かっているわけではないが、それなりに収入もあり、生活も問題なく軌道に乗り始めた……そんな時、どうやってこちらの居場所を突き止めたかは不明だが、元上司である大内池翔子とヴァータの生みの親であるヴィクトルからの連絡があった。翔子は手紙、ヴィクトルは電話で、だ。
電話の内容は至って単純。

「ヴァータは正常に活動しているか?」

というものだった。造魔である彼女は、人間のように食事で栄養は取らない。彼女にとっての栄養源は、万物の根源であるエネルギー『マグネタイト』である。
それは「悪魔」を狩る日々では問題なく供給できている。そう伝えることでヴィクトルは納得したのか、それ以上は何も言ってはこなかった。
だが、翔子からの手紙は違った。
そこに書かれていたこと、それは<結社>脱退の許可でも叱責でもなく―――依頼であった。
『貴殿にChaosの呪いを解く手掛かりの入手、可能ならば実行を御依頼願う』
そして最後に小さく、
『よろしくね、PK探偵さん。 P.S.一回ぐらい、二人揃って顔出しなさいな。お土産、期待してるわよぉ♪』
というものだった。
一度は離れた場所へ帰る…簡単なようで、難しい選択。
だが二人は結局、依頼を受けることにした。
その旨をPCからメールで伝えること1週間、やがて届いた二人分の航空券。

そして今、二人は古巣に帰ってきている。

正面玄関から入ると、ロビーで受付嬢がこちらをみて微笑んできた。
「お待ちしておりました、斉さん、ヴァータさん。大内池さんがお待ちですよ」
「ああ、でも驚かせたいから連絡はしないでくれよ、宮内ちゃん」
馴染みの顔である受付嬢、宮内 令菜に微笑み返しながら斉は鞄に手を突っ込み、一つの箱を取り出す。
「これ、本場赤ワイン入りチョコ。また同僚達と食べるといい」
「わぁ、ありがと。また皆で頂くね」
宮内が箱を受け取ったのを確認し、軽く別れを告げて足をエレベータの方へと向ける。
エレベータは1階で待機していたらしく、ボタンを押すと同時に扉が開く。
それに乗り込み、最上階を押してから『閉』を押す。動き、軽い浮遊感と重力を感じる。
静かになった個室内でほぼ密着した位置に立つ二人。斉は首だけで振り向き、ヴァータに言う。
「…さっきから痛いんだが?」
「………………」
黙って睨み返してくる造魔の少女。その表情は、やや膨れている感じであった。そしてその手は、白く細い指で斉の腰より少し上辺りをつねっていた。
「…妬いてんのか?」
「……知りません」
そう言って顔を背ける少女の頭を軽く撫でてやる。
すると、最初は憮然とした表情が、少しずつ和らいでいく。そして腰をつねる手が離れたのは、ちょうどエレベータが最上階に着いた時だった。
狭い個室から廊下へと出ると、一つの扉が正面にある。向かって左側の扉は休憩室、右側は物置。
“よく休憩室で仮眠したもんだな…”
1年という期間は自分が思っていたよりも長かったらしい、そう感じながら正面扉前に行く。
何度も出入りした扉のハズだが何故か緊張し、軽く深呼吸をしてからノックをする。
そして中からの返事も待たずに扉を開き、中に入る。
「アッモーレ!御依頼を承りに来ました〜!」
その部屋は、中央に黒革でできたソファが向かい合い、それに挟まれるようにガラスのテーブルがある。
そしてその一式を挟んだ扉の反対側、窓を背にした場所にある大きな木製の事務机。
その机に腰を下ろしている美女―――大内池 翔子がいた。
彼女は艶然と微笑みながら言う。
「お帰りなさい、少し予定より遅かったわね」
「空港で少し、手違いがあったもんで…」
苦笑しながら翔子の方へと歩み寄りながら、斉は心のどこかで安堵した。
最悪、組織からの脱走ということで殺されることも考慮に入れていただけに、この安堵は大きい。
だがそれを少しも表情に出すことなく、鞄に手を突っ込みボトルを2本出し、翔子に渡す。
「80年ものの赤ワインだとさ」
「あら、ありがと。少しは気が利くようになったのかしら?」
「よく言うぜ。依頼書にしっかり土産持って来いって書いといて……」
「『期待している』っていうだけで、買って来いとは言ってないわ」
笑いながら、受け取ったボトルを2本共、腰掛けている机上に置く。
そして立ち上がり、斉の後ろに控えていたヴァータの方へと歩み寄る。
「ヴァータちゃんも、お元気そうで何よりだわ。少し大人っぽくなったかしら」
「…年代による劣化は抑制されているはずですが?」
「雰囲気の問題よ」
微笑む翔子と、表情こそ変えぬもののやや赤面するヴァータ。
その二人を見つつ、斉が口を開く。
「そういや、他の連中は?」
斉の記憶には、斉自身とヴァータ以外にも5人の仲間がいたはずである。脱退後、また新たに仲間が入ったとしても、今はその一人の姿も確認していない。
その考えを読み取ったかのように、翔子が答える。
「あなた達がいなくなってから、メンバーも増えたり減ったりしたのよ。今は皆、とある任務に出払っているわ。任務の内容は言えないけど」
「分かってます…しかし一人もいないとは、ね。まぁこの稼業じゃ仕方ないか」
再会を少なからず楽しみにしていただけに、軽く落胆し、溜息をつく。
そして旅の疲れが出てきたのを足に感じ、黒革のソファに腰を下ろそうとする。
その時、翔子が何かを思い出したように言う。

「あ、そういえば一人はいたんだった」
「は?」

言葉を聞き終わる前に下ろした尻の下から、「ぴぎゃぁぁぁ〜っ」という感じの悲鳴が、かすかに上がった。
「…………………………………………………………………………」
何となく、嫌な予感がした。
ゆっくり、恐る恐るといった感じでゆっくりと立ち上がり、そして自分が腰を下ろした場所を見てみる。
するとそこには……、
「……………………………………何じゃ、こりゃ………」
そこには、ソファにめり込む形で貼りついてる、10cmにも満たない人形……いや、かつての仲間であったミチルが、白目を剥いて倒れていた。


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「はぁ、よーするに……このバカがどこぞの酔っ払いにかけられた呪いがChaos系で、それをメシア教の教本通りに解呪しようとしたら、命は助かった代わりに今度はこのサイズになった、と」
「そういうことね」
ソファに向かい合う形で座り、話の始終を聞いた斉は溜息を一つつき、ガラステーブル上で、小型の猪口に入った赤ワインを舐めているミチル(ミニ)を見て言う。
「良かったな」
「いいことあるかぁぁぁっ!」
猪口に突っ込んでいた頭をガバッと上げ、叫んでくる。が、どうしてもサイズ的に声も小さくなるので、迫力はない。まぁ通常サイズでも、誰も気にはしないだろうが。
そんなミチルを見下ろしながら、さも面倒臭そうに言う。
「しかしなぁ、命があるだけめっけもんだぞ?」
「それで小さくなったら意味ないやん!」
「大丈夫だって。サイズは違えど、役立たずに変わり無し、だろ?」
「だろ?やないわ、あほぉぉぉっ!」
「あ、でもそうね」
翔子が口を挟む。
「食事代は浮いたわね。残り物で十分だし」
「ほぉ、役立たずなりの節約術か。やるじゃないか、ミチル」
「…………………」
泣きながら机の上で不貞寝しだすミチル。
その彼を完全に無視しながら斉は問う。
「で、こいつの呪を解くことにメリットはあるのか?デメリットのがありそうだけど…」
「メリット、デメリットの問題じゃなくて、彼のお父様がね〜…」
「ああ、神主のおっちゃんか」
「ええ。そのお父様から一応「よろしく」という感じで預かってるから…」
「この姿を見せて、倒れられても困る、と」
「そういうこと。それで…」
赤い液体の入ったグラスを一度口に運び、一口分喉に流し込んでから言う。
「こんな私的でややこしい問題を解決できそうなのは、元<結社>のエージェントでいて、現役の対「悪魔」専門の探偵さんの力が丁度いい、ということよ」
「はぁ、そういうことか…」
これ見よがしに溜息をつく。
「まぁ?依頼を受けてここにいるわけだから今さらグダグダは言わないけどさ……なぁんかイマイチ気が乗らんな…」
「心中、お察しするわ」
苦笑で返される。
その翔子にさらに苦笑で返しながら、
「ところで…あんたとこんな話をするのもおかしな感じだが、報酬の方はどうなってる?一応雇われた身なんで聞いとくぞ」
「ああ、それは…」
再びグラスを運び、一口嚥下。
「うぅん、美味しい……報酬はあなた達の脱走を不問にすること。及び、関係の維持。どう?これ以上ない報酬じゃない?」
「………ちなみに断ったら、どうしてた?」
「顔見知り同士での殺し合いは、気持ちのいいものじゃないでしょ?」
背筋が凍る。
つまり、今回の依頼を断っていれば、かつての仲間達が送り込まれ自分を殺しにきていた……。
“受けて正解だった…”
心底からそう思い、自分もまたグラスを口に運ぶ。
知らぬまに、喉がカラカラになっていた……。

「さぁて、じゃあ……どこからあたるかなぁ〜…」
中身を一気に飲み干したグラスをテーブルの上に戻し、立ち上がりながらノビをする。隣でヴァータも続いて立ち上がる。
その二人を座ったまま見上げながら――手は空のグラスにワインを注ぎ直しながら――翔子は言う。
「ああ、適当にぶらつくぐらいなら、一回横浜まで行ってあげなさいな」
「…ヴィクトルのおっさんの所か?」渋い顔をする。
「電話では許してもらえたんでしょ?」
「それはそうだけど……ちょっと遠慮したいというか、何というか……」
「ヴァータちゃんは?」
急に話を振られ、少しだけヴァータの顔が強張る。だが、それも一瞬のことで、すぐにいつも通りの無表情に戻り、言う。
「…私は……会いたいです。御義父様や姉さん達に……」
「…だそうよ?」
「………ぐぅ……」
冷や汗を一筋流す斉。
その時、

トゥルルルルル…


突如、翔子の卓上電話が電子音を響かせる。
立ち上がった翔子はその受話器を取り上げ、赤いランプが点滅する「内線1」を押し、電話の向こう側――恐らく、1階ロビー嬢の宮内と会話する。
「はい?……あら、そう………ええ、分かったわ。上がってもらって頂戴」
それだけ言って受話器を置き、視線を斉に戻す。
「良かったわねぇ〜、横浜に行ってもヴィクトルさんに会えないところだったわよ」
「……あの…さっきの会話に「上がってもらって頂戴」って……」
冷や汗で顔面を占める斉に翔子はイタズラめいた笑顔を見せる。
「ええ、だって、今ここの下の階にいるんだもの」

次の瞬間、斉は「力」を解放した。


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「久しぶりだな、ヴァータ。元気そうで何よりだ」
「はい、御義父様も…」
義父娘が再会を果たしているのを微笑みながら見守っている翔子が、誰に言うでもなく呟く。
「やっぱ何回見てもいいものね、人の再会っていうのは……」
「ああ、そうですね……」
斉はうつ伏せの状態でヴィクトルとヴァータを見ながら、やはり呟く。
「たとえ、何かを犠牲にしてでも、ね…」
そしてその斉は今、ソファの上に横たわり、背中に翔子が座っていた。
頭のてっぺんには、大きいコブが一つできている。そして頭に上ったミチルが、そのコブを触ろうとしている。
文字通り尻に敷いている斉を見下ろしながら翔子は言う。
「あら、いきなり【テレポート】で逃げようとするのが悪いんじゃない」
「だからって【ストーン・ブラスト】を頭に落としますか…」
「【サイコ・ガン】の方が良かった?」
「……これでいいです」
この人にはやっぱり適わん。
そう思い知りながら、斉は軽く身じろぎをして上の翔子を落とし、ついでに頭のコブをいじっていたミチルを叩き落として立ち上がる。
その横に立った翔子が口を開く。
「で、Mr.ヴィクトル、今日はまさか義娘さんに会いにきただけなのかしら?」
「いや……」
ヴァータを相手にしていた時とは違い、いつもの硬い無表情に戻して立ち上がってこちらに向き直るヴィクトル。
横でヴァータはソファに腰を下ろし、義父を見上げる形となっている。
「いや、違う。ちゃんとした依頼があってのことだ」
そこで一瞬、斉の方に視線を送り、
「君も過去に関わったことがあるだろう、『ギデオン・バルクの人形』に」
「…ああ……」
過去にあった冒険と、仲間達のことを思い、少し感慨に耽る。
だがそんなことはお構いなしに、話を続ける。
「あれはB級の下、いやC級の上というところの質のものだった。だが最近になり、あれのA級とも取れるものの在り処が判明した」
「わぉ、A級?」
翔子が軽く感嘆の声を漏らす。
「一体いくらぐらいになるのかしら」
「がめついのは相変わらずか…」
「五月蝿い」
殴り倒す。
床に倒れ伏した斉の背中にさり気なくヒールの踵を突き立てながら、ヴィクトルを見る。
「うむ、まだ実物を見てみなくては何とも言えんが、もしそれが本物だとすれば保存状態によっては……」
軽く一息。
「数千万は下るまい」
「数千万……」
あまりの額に、思わず反芻する斉。
その背中をさらに強く突き刺し、翔子は艶のある笑顔でヴィクトルに問う。
「すばらしい金額ね。で、それをウチが手に入れたら一体いくらで買い取ってもらえるのかしら?」
「…………そうさな………」
軽く目を細め、ちらりとヴァータを見てからすぐに視線を翔子に戻す。
期待に輝いた翔子の目と合う。
その目を見つめ返しながら、言う。
「10万」
「おい待ておっさん」
思わず素に戻って突っ込む翔子。
「何よ、その2桁は。人形自体は数千万、それにこちらへの依頼料100〜200万を含めて欲しいとこなんだけど?」
「うむ、それは分かっている」
鷹揚に頷くヴィクトル。
「そしてそこから……」
「そこから?」
「造魔3体分の引渡し金額を引けば安いものだろう」
「……何ですって…?」
思わず全身に力の篭る翔子。
「大内池さん…刺さってます…」
その足元で悶える斉。
だが更に力を加えることで黙らせ、翔子は問う。
「ちょっと待って、Mr.ヴィクトル。ヴァータもカパも、最初は貴方が預けに来たのよ?それなのにお金を取るだなんて…」
「ふむ、それだがな…」
やや渋い顔をする。
「大内池君、貴殿はカパを上手く手なずけたようだな」
「………………………」
押し黙る翔子。
その額に汗が浮かぶのを斉は見逃さなかった。
「手なずける…?な、何のことかしら…?」
「ふ、まぁそうとぼけるのは止めたまえ。カパのたまの帰郷に、すべて報告はきている」
「……あれほど言っちゃダメって言ったのに……」
“一体、何をしたんだろう……”
斉もカパの名は聞いたことがある。ヴァータには二人の姉がおり、一つ上の姉だ。
姉、とはいっても見た目が12,3歳の少女の様なので、並べばヴァータの方が姉と見られがちだが。
斉の思惑に気づくはずもなく、二人の会話は続く。
「別に私は責めているわけではない。ただ、その分の代償は払ってもらう、ということだけだ」
「……分かったわ」
観念した翔子。どこか力がない。
「でも、貴方今『3体分』って言ったわよね?ウチが預かってるのがカパ、このお馬鹿が連れてったのがヴァータ。後の一人は?貴方のお気に入りも譲ってくれるの?」
じっと扉の前で待機しているメイドの姿をした造魔――いつもヴィクトルの側にいる女性造魔、メアリを顎で指し聞く。
「まさか、メアリは渡せんよ。3体目は今日連れてきている、見てやってくれ」
そう言って彼は、メイド造魔に言う。
「メアリ、あの娘をつれてきなさい」
「かしこまりました」
軽く一礼をして、扉の外へと出て行く。
そして廊下でいくらか言葉を交わす気配がし、メアリともう一人の造魔が入室してくる。
その造魔は、美しいがどこか冷たさのある、気高さを併せ持つ感じの女性型だった。年齢は20歳前後、といったところだろうか。高級そうなブランド服に身を包んでいる。だが、左肩に担いでいる革製の棒状のバッグがミスマッチである。
「…ピッタ姉さん…?!」
その彼女を見てヴァータが叫ぶ。
声に反応し、3体目の造魔――3姉妹の長女は末妹に振り返り、微笑む。
「お久しぶりね、ヴァータ。無事で何よりだわ」
そう言いながらヴァータに近寄り、その頬に軽いキスをする。それから軽く抱き合い、すぐに離れる。
「どうかね、大内池君。この娘が3体目のピッタだ。戦闘技術も叩き込んであるから、大丈夫だ。すぐにでも戦線へ出せるぞ」
「…へぇ?」
そう言いながら、翔子はピッタへと近づき、右手を差し出す。
「よろしくね、ピッタ。これからは私が新しい御主人様よ」
どこか挑戦ともとれる物言い。
だがピッタはその手を握り返すことはなく、
「それは御義父様の御依頼を果たしてからでしょう。それに、私は御義父様以外のマスターを持つ気はありませんの」
とだけ返す。
その返答に翔子の顔が引きつる。
「ちょっと、戦闘技能だけ叩き込んで、礼儀作法は叩き込まなかったの?」
「いや何、最後のギリギリのところは弁えているさ。ただ何分、気の強い娘でな」
「へぇ、そう…」
とりあえず上がったままの右手を下ろし、そのまま腕を組む。
「で、この娘もウチが使っていいのかしら?」
「とりあえず、またしばらくは仕事をさせてみてくれ。それで成長を見る」
「分かったわ」
翔子が頷いた、その時、
「そういえば…」
ピッタが口を開く。
翔子がそちらを見る。
「何かしら?」
「斉、という男性はどなたですか?」
「……ん?」
いきなりな質問に、一瞬怪訝そうな顔をするも翔子は振り向く。
そこには、さっきまで踏まれていた箇所をさすりながら身を起こそうと四つん這いになっている斉と、その体をトンネルのようにくぐって遊んでいるミチルがいた。
突然自分の名を呼ばれ、顔だけそちらに向けて答える。
「え?あ、俺だけど?」
「…貴方が…」
それだけ答えると、ピッタは何も言わずに斉に近づき、いきなりその背中を踏みつける。
「ぐぁ?!」
「ぎゃぁぁ〜!」
再び床に張り付いた斉…と、その下敷きになったミチル。
「な、何するん……?!」
ガチャ…
頭だけそちらに向けて抗議しようとする斉の鼻先に、黒光りする銃口が突きつけられた。それも大きい、ハンドガンなどではなく、ショットガンを…。
さすがに口を噤む斉に、ピッタは静かに告げる。
「私の可愛い妹を無断で連れ去った罪は大きいわ…」
コッキング。
「『ランドール』の餌食となって詫びなさい」
「どこがギリギリは弁えてんだ、おっさん!!」
半泣きで叫ぶ斉に対し、ピッタは冷静に引き金を引こうとする。
だが次の瞬間、ヒュッという音と共にピッタの『ランドール』に紐状のものが巻き付く。
それにより、引き金から指を離してピッタは顔を横に向ける。
「……どういうつもり、ヴァータ?」
「……ダメです、姉さん…」
『ランドール』に巻きつけた鞭の取っ手を握りながら、ヴァータは言う。
「その人…殺しちゃ、ダメです…」
「でも…!」
反論しようとした、その時、
「もういいだろう、ピッタ。お止めなさい」
ヴィクトルが制止する。
「でも御義父様!貴方が「斉という男は殺しても殺したりない」って…!」
「…んなこと言ったんかい…」
「昔のことだ」
冷や汗を流す斉、さらりと流すヴィクトル。
「とにかく足をどけておやりなさい、はしたないぞ」
「……分かりました…」
解放される。
とりあえず、また踏まれては堪らないとばかりに、斉は急いで立ち上がる。
だがピッタは、もう斉に興味を失ったといわんばかりに『ランドール』に撒きついた鞭を解いて放り、革バッグに入れなおしている。
「ふぅん、じゃあ、ちょっといいかしら?」
それまで静観していた翔子が突然口を開く。
室内全員の視線が彼女に集まる。
「斉君、改めて依頼ね。Mr.ヴィクトルの言う『ギデオン・バルクの人形:A級』の確保、及びChaosの呪いの解呪、この二つをこの順の優勢順位としてお願いするわ。報酬はさっき言ったものとは別にこちらで用意するから。そして今回の仲間としてヴァータちゃんはもちろん、ピッタも連れて行きなさい」
「「……は?」」
思わずハモる斉とピッタ。
「な、何言ってんすか、大内池さん?見たでしょ、今の俺とこいつの相性の悪さを」
「この男はどう考えても足を引っ張ります。私とヴァータだけで十分です」
「五月蝿い、これは命令よ」
口々に言う抗議を翔子は一蹴する。
「命令、っすか…」
呻く斉。
「そう、命令よ、依頼人としてのね。ピッタは上司として」
一瞬だけ視線を合わせる斉とピッタ。そして、
「了〜解っすよ…」
「かしこまりました…」
不承不承、返事する。
「Chaosの呪い?」
突然、ヴィクトルが口を挟む。
「誰かが呪いにかかったのかね?」
「ええ、えっと………」
「……………あ゛…」
翔子が視線で探そうとするより先み斉は床の一点を見つめて固まった。
その視線の先で、ミチルは再び伸びるハメとなっていた。


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「ふむ、つまりこの青年にかかった呪いがChaosなので、その手掛かりが欲しい、ということかね?」
「そういうことよ」
伸びたミチルをテーブルの上に置きながら翔子とヴィクトルが話す。
「手掛かりならば、無いこともない」
「あら、何か知ってるの?」
「うむ、まぁサービスで情報をやろう。『ギデオン・バルク』がある所がChaosの神殿の一つだ」
「何ぃ?!」
さらりと言われた言葉に斉が食いつく。
「んな危険な所にあるんか、それ!?」
「うむ、奴らの御神像となっているという情報だ」
「…はぁ……」
思わず溜息をつく。
それを無視して翔子が問う。
「で、それが手掛かりなの?」
「うむ、Chaosの呪いはChaosに解かせるのが一番手っ取り早いと思わんかね?」
「それはそうだけど…」
軽く目を閉じ、眉間に皺を寄せる。
「あのヘソ曲がり達が簡単に手をかしてくれるとでも?しかもそこの御神像をパクりに行くのに?」
「そこは君たちの腕の見せ所じゃないのかね?」
「……だ、そうよ、斉君?」
「………………イタリアの農地が恋しい…」
とりあえず現実逃避をしてみせる。
「ほらほら、これが終わったらイタリア帰って好きなだけピッツァ食べていいから」
「へいへい…」
「これがその神殿の場所だ」
「あいよ」
激励(?)と地図を受け取り、思い腰を持ち上げる。そして思い出したように、
「あ、大内池さん」
「何?」
「これ、連れてっていい?」
テーブル上のミチルを指差す。
「何かに使えるかも」
「ええ、いいわよ。好きになさい」
「そうさせてもらうわ」
そう言い、まだ白目を剥いているミチルを適当に掴んでコートのポケットに入れる。
そして部屋の扉へと足を向けながら、言う。
「さて、じゃあ行くとしますか」
それに黙ってヴァータとピッタがついていく。
そして扉横で待機しているメアリと、ソファに座ったままの翔子とヴィクトルに見送られ、3人(+1人)は退室した。




次回に続く